「脳のなかの幽霊」という本を読んでみた

「脳のなかの幽霊」という本を読んでみた。感想などのメモ。

脳のなかの幽霊 (角川文庫)(Amazon)

この本を読んだのは機械学習で脳についての知識を知っていれば楽しく学習できるのではと思ったからだったりする。
機械学習に関連して、脳の本と人工知能の本を買っている
機械学習だけではなく、VRとか医学的な話でいろいろと思ったことや可能性を感じたとが多かった。
前半部分は読みやすいので前半だけでもお薦めしたい。


第1章
この本で紹介するテーマの概略の説明。奇妙な患者の不思議な症例があり、まるで精神病患者みたいなおかしなことを患者が主張している。神経科学者である著者は、これらの症例は脳の損傷や障害によって起きているのではないかと考え、その仮説を実験などのアプローチして解明していく。そういう内容の本だ。


第2章
事故で腕を失った男の話。無いはずの腕が痛む幻肢痛とかのよくある話なのかと思ったら、話はその予想よりも怪奇な話になる。
なんでも、失った腕の代わりに「幻の腕」というのを感じられて、動かしたり物に触ったり掴んだりできるようになったというのだそうだ。
「幻の腕」に対する仮説としては、皮膚の触覚という感覚神経が脳に入力される大脳皮質の側面表面の縦に細長いテープ状の部分で信号の「混信」あるいは「干渉」のようなものが起きているのが原因だと考えられる。
サルを使った実験が引用されていて、上記の脳の感覚神経に対応した部位を調べた実験の話から始まり、この部位の対応関係が固定されているものなのかを調べた別の実験を紹介している。
サルの手に対応する神経の接続を切断し、手を刺激した時の脳の信号を調べるという実験をすると、切断されているため当然、脳は反応しない。次に、顔面を刺激した時の脳の信号を調べると、顔に対応する脳神経だけでなく、なんと手に対応する脳神経にも反応があったという。
著者はこれを脳の地図が書き換えられたと解釈し、実際に研究するため腕を失った患者を探していて、2章冒頭の患者と会い、脳の地図を調べる実験をし、顔面を刺激した時に患者の手の感覚が生じていて、その詳細な対応部位のマップを作るのに成功した。
他にも足と性器の「混信」の患者の例が紹介される。
幻肢痛についても、触覚と痛覚のあいだで「混信」が起きたのではないかと著者は考える。


ここまで読んで自分は、この大脳皮質の表面部分はニューラルネットワークの入力に近い部分で、ニューラルネットワークの学習により後処理をする深い脳の部位に振り分けられているのだと思った。
表層から深層に伝達する途中、シナプスの結合のマトリクスは冗長性を持っていて、近傍の感覚神経が元々非常に弱くつながっているのだと思う。
それが、腕を失って、腕の部分の触覚の神経入力がゼロになると、非常に短期間にニューラルネットワークの再学習により、腕よりも弱かった顔部分のシナプス結合の比重がより大きくなるように「学習」されてしまって、顔と腕の混信が増幅されてしまい、顔の神経のせいで腕があるように錯覚してしまうと考えられる。
他にも混信しやすい場所として、足の先と性器が紹介されているが、これをうまく応用すれば、学習によって、足を刺激して性感を得られるような装置がVRを応用して作れるのではないかと思った。変な学習をしてしまうと危険だとも思った。


第3章
幻肢について著者はさらに追求する。
幻肢を動かせるという感じはどうやって起きているのか? 一方で幻肢を感じることができるものの動かすことができないという症例が報告されているが、その違いはどうやって起きているのか?
著者の仮説では、運動の指令を出す運動野という脳の部位と、それを割り当てる身体イメージというのがあり、それらの部分の脳機能が腕を失ったとき不整合が起きてフィードバックの仕組みが混信して狂ってしまうのだと考える。
そしてしばしば患者は幻肢がねじれて固まってしまって動かせなくなっていたり、存在しない指が勝手に握りしめられて指が手のひらに食い込んであるはずのない痛みを感じたりしている。
著者は、片腕を失って幻肢を生じて動かせない患者のために、鏡を使って失った腕のかわりに残った腕で作った鏡像のイメージを見せて、幻視に視覚的にフィードバックをかける「バーチャルリアリティーボックス」という簡単な装置を作製する。
果たしてそのVRボックスは効果を上げ、半数くらいの患者は幻肢が動かせるようになったという。ただし、動かせるのはVRボックスを使っているときだけで、VRボックスによるアシストなしで幻肢を動かせるようにはならなかったが、幻肢を動かせたおかげで幻肢痛を解消したケースもあったということだ。
さらに著者は幻肢痛について実験を考案する。
二人羽織版のバーチャルリアリティーボックスのような装置で、患者の動かせるほうの腕の代わりに実験助手の腕を装置に差し込んで、その鏡像を幻の腕へのフィードバックに使うというものだ。ちょっとややこしい。
患者は自分の腕を動かしてなくても幻の腕を動かす感覚を得ることができる。
そして、実験はさらに続いて、実験助手はこっそりと右腕と左腕を入れ替えて、手袋の中の指があたかも関節の逆の方向に曲がって握るように患者に錯覚させる。結果、被験者の1人目は痛みは感じなくて単に奇妙な方向に指が曲がったおかしな感覚を味わっただけだったが、被験者の2人目は幻の指に激しい痛みを感じたという。
この章では2つの新しい知見が得られている。
1つは幻肢が動かせるという感覚や幻肢に痛みを感じるというのは、第2章のような感覚神経の「混信」だけでなく運動神経や痛覚神経の「混信」も起きていること。そのような脳内の神経の変化は後天的に生じた。
もう1つは幻肢の「混信」を視覚のフィードバックをだますことで上書きできるということだ。視覚の「比重」が大きい。
最後に2つの簡単な実験を紹介している。
1つめは鼻の身体イメージを狂わせる実験で、目隠しをした被験者と向かい合わせにダミーとして助手を座らせる。さらに別の助手Bが被験者の手を取って指で向かい側のダミーの鼻を不規則にタッチさせ、それとシンクロして助手Bは同時に被験者の鼻にタッチする。目隠しされた被験者は、手を伸ばした向かいのダミーの位置に自分の鼻がある、つまり鼻が移動したのだと錯覚してしまうという。何人かで実験して半数くらいでこの錯覚がおきる。
2つめの実験はちょっと乱暴で、うそ発見器のような電気皮膚反応を計測する装置を取り付けた被験者と、テーブルと金づちを用意し、被験者の手を隠した状態で金づちで弱く叩き、同時にテーブルを金づちで叩く。不規則なパターンで同時にシンクロさせて繰り返すとテーブルが自分の手だと錯覚して感じてくるそうだ。そして急にテーブルを金づちで強打すると、被験者はまるで自分の手が強打されたかのように電気皮膚反応を生じさせるという。
視覚フィードバックを遮断したり誤魔化したりすれば身体イメージを数十秒で変化させられることができるということだ。


この章を読んで自分は、この原理をVRゲームに当てはめたらどんなことが起きるのか、少し不安になった。
例えば、VRゲームで手に持ったコントローラーのボタンを押したら、VR空間で見えている手が物を掴んだりするというのがあるのだが、物を掴む触覚神経と運動神経の感覚がボタンを押すものと「混信」してしまうことになる。短時間ではそれは脳のニューラルネットワークに大きな変化は起きないかもしれないが、長時間かつ長期間ゲームを遊ぶことで脳のニューラルネットワークに学習が蓄積して重みが変化してしまったら、VRの外で物を掴むことができなくなったりしないだろうか? という不安だ。
他にも、金づちの実験のように仮想の身体が強打されたり、銃で撃たれたりするのを繰り返すと、これも痛覚の「混信」の学習が蓄積されたりしないのだろうかと不安を感じる。

中国の医学で経絡(けいらく)というのがあるが、これは神経のつながりだけでは説明できない不思議な相互作用があり、手の特定のツボを刺激すると対応した特定の内臓の臓器の働きが活性化したりする。これは、なんらかのニューラルネットワークの内部の「混信」をうまく逆利用しているのではないだろうか、と思った。


第4章
この章では著者は視覚に関係した脳の障害の症例に取り組む。
奇妙な脳の障害を負った患者の話から始まる。その患者は目で物を見ても認識できず盲目であるかのようだが、おかしな事に 鉛筆を見せて「これは何ですか?」と問うと、まるで見えているかのように鉛筆に手を伸ばして鉛筆を取って触れて、見せたものが鉛筆だと答えたという。
著者はこれを脳の中のゾンビと呼んでいる。映画インサイドヘッドみたいに人間の脳の中に小人(こびと)が住んでいて、人間本体の本人はその小人が何らかの自分の機能の下請けをやっているということを知覚したり自覚できないというような現象だ。
人間の視覚は図形を認識する役割や言う動いている物体を認識する役割など、30種類ほどの機能に分かれているという。
脳卒中などでピンポイントに特定の箇所が損傷した場合、ほかの機能は正常に動いているのに、ある機能のみが働かなくなってしまうということが起こりえる。
特定の図形だけは見えているはずなのに認識できなくなってしまうとか、止まっているものは見えるのに動いているものは見えなくなってしまうとか、そういった奇妙が患者の症状を説明できる。
さらに著者は、視覚機能の経路を「何を」という経路と「いかに」という経路に分類する研究を紹介している。
30種類ほどの物をいろいろな特徴で捉える物体認識の経路は「何を」経路に含まれる。
「いかに」経路は、空間認識路で「どこ」経路とか行動視覚路とも呼ばれ、空間を認識して物体をつかんだり避けたりするためのナビ機能のような役割をする。
興味深い実験として、わずかに大きさの違う2つの積み木を被験者に見せて大きい方を掴んで持ち上げさせるということをさせた場合、「何を」経路ではわずかな違いを判別できなくて正しい結果を出せない場合でも、「いかに」経路では手を正確に積み木の大きさに合うように開いていることが確認できるという。
似たような実験で、錯視を使って人間の目を騙して物体の大きさを周囲の物体の大きさを変えることで錯覚させた場合にも同様のことが起こる。


この章を読んで自分が思ったのは、30種類の機能はまさに画像処理のニューラルネットワークそのものだと思った。しかし、この複雑なニューラルネットワークの「初期値」は、一体どこから与えられるのか不思議に思う。


第5章
さらに奇妙に視覚の障害を負った患者の話から始まる。
片目を怪我で失明し、その後にもう片方の目も見えなくなってしまった患者だが、後者の目は実のところ機能していて脳の機能として見たものを認識できないだけだという。そしてさらに奇妙なことに後者の目には幻覚が見えるようになったという。人物や動物や植物やその他の物体や不思議な色彩の光などが脈絡なく見えるというような幻覚だ。ピンクのワニが浮かんで見えるとか。
著者は、ここで視覚イメージの書き込み機能について考察する。物体が部分的に見えない場合に、その見えない部分を自動的に補完したり充填したりする機能だ。
この書き込み機能は眼球の網膜にある盲点を補うのにも働いていて、いくつか紙面に図形を紹介して読者に体験できる形で書き込み機能による補完現象を説明していく。
著者は、さらに幻覚を見る患者を調べて、幻覚というのは、書き込み機能とその経路の「混信」によって何か頭の中の物を想像するときに作られるイメージが勝手に視野に書き込まれて見えているのだと仮説を立てる。実験で確認とかまではできていない。


第6章
左半分の視野だけ盲目の患者の話から始まる。完全な盲目というのではなく、脳の障害で左側の視野だけ「何を」経路が機能しないというケースだ。「いかに」経路は機能しているので、左側の見えない筈の障害物にぶつかったりはしない。
このような半身無視の患者は必ず脳の右半球の障害により発生する。これは視覚の認識機能について左右の機能の非対象に起因しているという。
患者に対する実験で、絵を書かせるのを試みている。紙に円を描かせるとちゃんと書くことができる。しかし、時計を書かせると円の中に数字を右半分に1から12まで詰め込んで書いてしまうと言う結果になる。
同様に、花を書かせると、花びらが右半分にだけ付いている変な絵を書いてしまうのだが、ここで目をつぶって絵を書かせるのを試みる。視覚の影響が無くなればどうなるのかの実験だ。しかし、目をつぶっても同様に半分欠けた花を書いてしまう。
これは脳の物体認識の障害が、頭の中のイメージにまで及んでいることを意味する。
次に鏡を使って、認識できない左側を、右側の視野に鏡像として映して認識させる実験をする。
すると患者は鏡の存在を認識するのだが、鏡に映った物体が左側に存在していることを意識として認識できず、例えば鏡にペンを映して患者にペンを取らせようとすると奇妙なことに患者は鏡の中に手を入れようとしてしまう。
当然、患者は鏡というものがどういうものか知っているし、分別を持っていて鏡の中に手を入れることができないのも常識として知っている。
しかし、鏡に映った本来の空間上の位置を知覚できないため、不合理なことに物体は鏡の中にあると知覚してしまう。
心の働きに少し関わってきている。


第7章
半身麻痺(半身不随)の患者の話から始まる。
その患者は半身が動かないということを知覚せず、自由に動かせていると認識して話をする。
半身麻痺であるけないはずなのに、「歩いた」と言ってみたりとか、医者や周囲の人から見ると患者は嘘を言っているかのような明らかにおかしい言動を取っている。
著者は、これには心の働きが関わっていると説明する。
そして、これには右脳と左脳の機能の違いが関わっていると仮説する。
左脳は言語や知性・理性を司っていて、右脳は直感・連想や情動を司っている。
そして、右脳は理屈やモデルを考え出すのに対して、左脳はそれを直感などで判定してブレーキを掛けたり否定したりする役割をしているという。
もし、そのブレーキの仕組みが壊れてしまうと、右脳が辻褄の合わない屁理屈を考え出したとしてもその矛盾を検出することができなくなる。
次に、著者は、患者の耳に冷水を注いで内耳の対流により無意識に眼球が振動するという現象を使って、その現象起きると半身不随を無視が起きなくなり病状を知覚できるようになるという実験があるのを知り、これを応用した実験をする。
結果、著者の患者の耳に冷水を注いでも実験は再現する。そして、実験後の直後には麻痺を患者は認めたのだが、12時間後に尋ねると麻痺を認めたこと自体を認めなくて、ちゃんと正常に身体が動いていたと事実とは異なる主張をしてしまう。
心理学の自我の防衛の働きによるものだという。


第8章から先 第12章まで 一通り読んだが、脳の機能の話の比重よりも心の働きの比重が多い。
患者の症例に対して、仮説は提示されるのだが、実験によりすっきりと説明できるような事例が少ない。
そのため読んでいてあまり面白くなくて退屈に感じた。

第8章は、顔を認識する脳機能についての考察をしている。両親が別人に入れ替わってしまったという妄想にとりつかれてしまった患者の話。
第9章は、神秘体験を感じる脳機能についての考察をしている。大脳辺縁系に障害を受けたあと神の存在を感じられるようになったと主張する患者の話。
第10章は、笑いの脳機能についての考察をしている。特に笑えるようなできごともないのに発作で笑いが止まらなくなってしまい最後には死んでしまった患者の話。
第11章は、想像妊娠の患者の話。心が偽りの妊娠を認識して信じてしまったとき、身体にもその作用が及んでしまうという。
第12章は、クオリアの話。ちょっと難しいが、感じているものは本物だと感じられる感覚はどこから来るのかという話だ。


第9章で出てくる脳を磁気で刺激する装置というのはちょっとばかり興味深い。
大脳辺縁系を磁気で刺激すると神秘体験を引き起こすケースがあるのだという。
神の存在を感じられるようになるとか、悟りみたいな感覚を得られるとか。
インドの僧侶や修験者が過酷な修行をすると悟りの体験に到達すると言われているのは、この辺の脳の機能が一時的に「混信」して起きているのではないかと思った。
また、昔、オウム真理教というカルト宗教集団があり、そのリーダーのアサハラ尊師の悟りの脳波を科学的に研究してヘッドギアを使ってその脳の状態と同じ悟り状態を人工的に作り出すという怪しげな商品を売っていたといういのがある。実はあながち間違っていないのではないかと思った。

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